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たまにしか更新しないのに文章長くてすみません。

Progressive Rockを聞いて(Pink Floyd雑感〜The Dark Side of the Moon)

狂気

狂気

1973年に発表された「狂気(The Dark Side of the Moon)」はPink Floydはもちろん、プログレバンド史上最大のセールスとなった。本作は、コンセプトアルバムとして名高い一作である。アルバムの作風を統一するという類の緩いコンセプトではなく、一作を通して一人の人間の一生を追うタイプのコンセプトアルバムである(トミーやジギー・スターダストといったコンセプトアルバムが近しい)。
全米のみで1,500万枚超、世界セールスが5,000万枚を超えるこのアルバムについて、今更、僕が目新しいことを書くことが出来るか、自分でも疑問ではあるのだが。曲目とプレイ時間を一瞥して分かる通り、前作までの大作主義的な路線は捨てている。聞いていただければ分かるのだが、曲自体もそれまでの難解さは鳴りを潜めて、どちらかと言えば聞きやすい曲が並んでいる。それでいて、アルバム全体に一貫したコンセプトを与え、曲間をなくすことで、途中から聞くことにためらいを覚えてしまう作り。この匙加減がこのアルバムが傑作と呼ばれる所以じゃないかと思う。
なお、個人的にはこのアルバムは邦題も素晴らしい。The Dark Side of the Moonを狂気と訳すところからしてセンスを感じるのだが、イメージで邦題をつけるのでも、直訳するのでもなく、内容を理解した上できちんとつけていることがよく分かる邦題だ。邦題を眺めるだけでも何となく物語がつかめてきそうではないか。
Speak To Me/Breathでは、心臓の鼓動を思わせる音から、あとの曲のSEが混ざり合う。まさに世界が語りかける中で、「彼」は叫びと共に世界に生れ落ちて、呼吸をする。冒頭のワクワク感から、ゆったりとした調子で落ち着かせるのは前作でも同様だった。
シンセサイザーと様々な音が交錯するOn the Runは一番プログレらしい訳の分からなさがある。前後の曲から推察するならば、生まれてきた「彼」が言葉もないくらいに生き急いでいる様を音で表現しているといったところか。
唐突にその人生には終わりが来る。目覚まし時計の派手な音が、「彼」の目を覚ます。深い絶望を表すようにシリアスな演奏が続いた後に、過ぎた時を嘆く叫びのような歌が聞こえてくる。このTimeでは歌以上に激しく鳴くギルモアのギターが冴えわたる一曲。深い絶望を抱えながら、「彼」は今一度懐かしい家に戻り、呼吸を始める。
アナログ時代のA面の最後を飾るのは、The Great Gig In The Sky。歌詞はないが、非常にムーディーな曲で、女性による叫び声に近いスキャットが曲を盛り上げる。この曲が何を意味するのか、少しわかりづらい。次の曲と繋げて考えるならば、「彼」の伴侶が死ぬ際の苦悶の叫びと、それに対する「彼」の深い慟哭とでもとればよいのだろうか。
Moneyはシングルヒットした楽曲で、イントロのレジスターのSEが印象的。1曲だけ見ればなるほど、シニカルな歌詞が冴えるコンパクトなロックナンバーである。サックスの力強いソロから、びっくりするくらい技巧的なギターソロが炸裂する。とてもPink Floydとは思えないストレートな出来だ。曲同様に「彼」も深い慟哭の後に人が変わってしまったと推察できる。
金に取りつかれた「彼」は今一度、我に返る。「結局のところ、皆、普通の人間でしかない」という冒頭の歌詞から、金への執着がぱたりと消えたのが分かる。曲自体はBreath同様の穏やかさを取り戻したメロ部分と、コーラスが大々的に加わるフィル・スペクターのような仰々しいサビの落差が面白い。エンディング的なムードが漂うのは、「彼」の正気な人生の終わりを無言の内に告げているのかもしれない。勇猛な将軍について語り続ける歌詞と、「たった一杯の茶代と一切れのパン代のために老人が死んだ」という最後のフレーズから推し量るのならば、「彼」が尊敬する将軍(親類なのかもしれない)が、戦後に実に呆気なく死んだのを上の空で聞いてるといったところだろうか。
一切の寄る辺を失った「彼」にはもう何もない。Any Colour You Likeのタイトル通り、言われたままに望まれたままに生き続ける。曲自体はOn the Run同様にタイトなバンドの隙間をシンセサイザーの縦横無尽なサウンドが駆け巡る。ただし、特徴的なSEは存在しない。もう「彼」には周りの音は聞こえてこない。機械的に生きるのみだ。
再び心臓の音が聞こえはじめ、Brain Damageが始まる。もう「彼」には自分が誰が誰だか分からない。自分ではない誰かが自分を支配し始めていることを冷静な目で眺めている。淡々としたボーカルと時折聞こえる箍が外れたような笑い声が狂気を感じさせる。
Eclipseの大団円的なサウンドと歌詞のミスマッチ感は、いっそ不気味さを感じる。何もかもすべてが太陽に調和を保っているにもかかわらず、太陽そのものが月という狂気に浸食されているのだ、という「彼」の悟りにも近いフレーズを最後に、「彼」の心臓は鼓動を止める。
一人の男が狂気に染まり、死に行くまでを描いた見事なアルバムであるのだが、「彼」が鼓動を止める寸前に「There is no dark side of the moon really. Matter of fact it's all dark(実際には月の裏側など存在しない。全てが闇である)」という痛烈な台詞が挿入されている。何のことはない、「彼」は狂気に侵されたのではなく、始めから狂っていたのだと言わんばかりである。
曲の解釈があっているかどうかは正直自信がないのだが、単純にアルバムを聞いていても起伏に富んだ良いアルバムである。穏やかなナンバー、エモーショナルなナンバー、キャッチーなナンバーなどがだれることなく配置されている。それらを更に一つの物語でまとめあげてしまい、考察の余地を残す完成度にはぐうの音も出ない(一方で、これが日本でそこまで受けないのもよく分かる。聞きようによってはかったるいことこの上ない)。ただし、コンセプトアルバムとしての充実度の方が高く、プログレ要素は後退しているのが正直なところである。On the RunやAny Colour You Likeでの曲作りは前作までの音で空間を作る技法が活きているものの、その二曲からは前作で感じたような無限、深遠といった単語が似合う広大な空間ではなく、もっと分かりやすいものだ。
この傾向は次作以降も継続していき、プログレッシブな要素をまとったコンセプチュアルなアルバム作りへとシフトしていく。それはThe Wallで完成することになる。