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たまにしか更新しないのに文章長くてすみません。

QUEEN CD REVIEWS Ⅰ

B’zの楽曲におけるQUEENの影響というのは非常に少ない。Raging Riverにおけるプログレ風の曲作り、BOHEMIAN RHAPSODYのような一曲の中で曲がどんどん変わっていくような曲を念頭において作ったというCalling、BANZAIにおけるギターの多重録音程度である。これは松本さんのQUEENからの影響が少ないからだろう。QUEENはいわゆるギターヒーローは存在せず、強力なロックサウンドというよりも、ロックと言っていいかすらわからないフレディの曲、どちらかといえば堅実な印象のブライアンのロックサウンドが初期の要だった故に、ギター少年松本孝弘にはそれほど魅力的な印象は残らなかったのだろう。ただ、ロックに拘らず、様々なサウンドを積極的に試し、色んな分野の曲をやってみて、継続的なヒットをシングルで、アルバムではファンの喜ぶ濃いサウンドを、といったスタイルはB’zのやり方に相通ずるものがある。
QUEENにおける影響が少ないのは何もB’zに限ったことではない。QUEEN好きを表明するバンドでもその影響はサウンド面では、余り見受けられなかったりする。たとえばTHE DARKNESSが最近では良い例である。彼らはまぎれもないQUEENファンだが、サウンドはハードロックを地でいくバンドであり、その影響はファルセットと衣装にしか見受けられない。これはQUEENサウンドに問題があるのではないだろうか?QUEEN的なサウンドというと、普通は初期のフレディ作品のサウンドのことを指す。しかし、彼特有のサウンドをなぞると、フレディサウンド以外の何物でもなくなり、本家サウンドとの比較、オリジナリティーの希薄さを生み出してしまう。では、さらっとやれば良いかと言うとそうでもなく、その場合はプログレの影響程度で済んでしまい、別にQUEENの影響に限らなくなる。フレディ以外の面子、あるいは初期より後のサウンドをなぞっても余り意味はない。中期以降の曲はQUEENというバンドが様々なサウンドを高水準な演奏でフレディが歌い、若干のQUEEN色を加えるという形が目立ち、唯一無二のQUEENサウンドではなくなってくるからである。したがって、バンドにおけるQUEEN色はギターの多重録音だとか、ちらっと大作志向を見せたりだとか薄くなりがちである。それでも全くないわけではなく、HMの分野ではQUEEN的な取り組みを見せるバンドも少なくない(ただし、その場合QUEENにあるポップなメロディは消え、物語的な部分がクローズアップされやすい)。
そういった事を考えると、稲葉さんは比較的QUEENに影響された人であるといえる。21世紀に持って行きたいアルバムとしてWIREDと共にSHEER HEART ATTACKを選んでいるし、Touchなどでみられる、ピアノを軸にした急な曲の変化などはQUEENの影響と疑ってみたくなってしまう。極めつけはやはりTamayura。この曲で和製版QUEENサウンドを聞かせてくれた(小島さんのピアノの負う所も大きいが)。
まずは、QUEENのの中でもQUEENらしいと言われるの初期の五作を順に追っていこう。
この時期のQUEENサウンドは非常に特徴的で、曲を聴けば作曲者がすぐに分かる。各メンバーの作曲の特徴は以下の通りである。

  • フレディ・マーキュリー(vo,p):時にクラシカル、時に妖しげなピアノと、分厚いコーラスを軸にしたどんどん表情を変える曲が多く、必ずしもロックといえない曲が目立つ。非常に画期的な曲が多く、とぼけた曲も作れば、幻想的なバラードも作っていて幅広い音楽性がうかがえる。
  • ブライアン・メイ(g):恐らくはフレディに合わせたのだろう。この時期のブライアンは後のスタンダートなロックではなく、ギターの多重録音を利用した煌びやかなサウンドが多い。フレディとは対照的な健全なイメージの曲が多い。
  • ロジャー・テイラー(dr):後期QUEENでは様々な曲を作るロジャーだが、この時期は一曲のみの参加。自分の存在感をアピールするためか、単に趣味なのか、当時のQUEENでは異色な非常に男気にあふれるロックンロールな曲ばかりである。
  • ジョン・ディーコン(b):遠慮深いのか、三枚目で初めて曲を提供。ポップなメロディによる健全なナンバーの作り手。この時期は他におされて余り目立たない感がある。

Queen

Queen

QUEENが普通のハードロックバンドとしてやっていこうかな、と思っていたのが感じられる一枚。後のQUEEN特有のコーラスや妖しげなピアノの印象は薄い。全体的にアコギの音が強く、中東っぽい雰囲気が醸し出されているのはLED ZEPPELINの影響だろう。特にNIGHT COMES DOWNなどはその良い例である。どちらかといえば、ブライアン主体のアルバムで、フレディの印象はまだ薄い。とはいえ、フレディ一流の曲作りも既にここには存在する。次のアルバムに入っていても不思議ではないQUEEN美学の貫かれたMY FAIRY KING、曲がたたみかけるようにやってくるGREAT KING RAT、ロックという分野に入れるのが正しいのかすら分からないJESUS。どれも、後のフレディの曲に通じるものがあるが、コーラス主体ではなくギターがメインに据えられたハードロックよりの曲になっているのは単純にスタジオを借りられる時間の少なさから、後のような大作は作れなかったのだろう。いわゆる一枚目の傑作というアルバムではないが、決して一枚目特有の未熟さもないアルバムである。

ロンドンはデ・レーン・リ・スタジオが導入した録音機材をテストするために雇われ、スタジオを空き時間に使うことが許され、出来たアルバム。アルバムへの本国のプレスによる評価はボロクソでしょんべん桶とまでよばれ、「こんなバンドが売れたら帽子だって食ってやる」と言われたほどだった(食ってみろ! 笑)。アルバムのカバーではわざと、ジョン・ディーコンの表記がわざと、ディーコン・ジョンになっている。彼ら自身は自信満々で「誰もシンセサイザーを弾いていない」とわざわざ表記したほど。

クイーンII

クイーンII

一般にQUEENの最高傑作はA NIGHT AT THE OPERAとされているが、それは総合的なアートとしてみた場合の話で、QUEEN美学の頂点として名高いのはこの二作目である。ファンの中の人気もぶっちぎりでコレ。1〜5曲目までのブライアンを中心としたSIDE WHITE、それ以降のフレディによる曲群をSIDE BLACKとしたコンセプチュアルな作りである。
SIDE WHITEはブライアンのギターを中心としたインスト、PROCESSIONから始まり、FATHER TO SONでは煌びやかなハードロックサウンドを聞かせている。WHITE QUEENではSIDE WHITEの名に相応しく、善良でどこか寂しげなイメージを、SOME DAY ONE DAYではブライアン自らボーカルをとる。一休止をつくように重々しいロジャーのロックサウンドでSIDE WHITEは幕を下ろし、OGRE BATTLEでついにSIDE BLACKが幕を開ける。
SIDE WHITEが中世の貴族の煌びやかなイメージを具現化させたとするなら、こちらはその裏側。城の外の闇で跳梁跋扈する魔物達のような妖しげでどこか魅惑的なファンタジーの世界だ。そのノンストップなドラマチックな展開は筆舌に尽くしがたい。OGRE BATTLE、つまり人食い鬼の戦いを描いたスピーディーな展開から、QUEENのコーラスワークの頂点とも言えるTHE FAIRY FELLER'S MASTER-STROKE、幻想的なピアノバラードNEVERMOREが立て続けにメドレーで展開される。そしてこのアルバムの核であり、BOHEMIAN RHAPSODYと並ぶQUEEN美学の一つの頂点とも言うべきTHE MARCH OF BLACK QUEENに至っては圧巻以外の言葉はない。その凄まじさにヤラレてる間にFUNNY HOW LOVE ISが過ぎていく。最後のSEVEN SEAS OF RHYEは初めてのTOP10ヒットシングル。コンパクトな曲ながらめくるめく曲展開や、どこかポップで明るいメロディとQUEENらしさのよく出た曲である。正直な話、SIDE WHITEはSIDE BLACKの引き立て役と言っても過言ではない。
しかし、ファンの絶賛とは裏腹に批評家の間では、それほど高い評価を得ることはない。というのも、このアルバムは、余りに一色に染まりすぎているのだ。悪く言えば、フレディのやりたいことをそのままB面につぎ込んだだけなのだ。フレディの織り成すQUEEN美学のファンにとっては、涙ものだが、一つのロックアルバムとしての芸術性を鑑みると、確かにA NIGHT AT THE OPERAには劣る。言ってみれば、このアルバムと次作のSHEER HEART ATTACKは、The BeatlesにおけるWHITE ALBUMABBEY ROADLED ZEPPELINにおけるⅡやPHYSICAL GRAFFITTIのようなものなのである。
しかしながら、QUEEN美学をたっぷり詰め込んだアルバムというのは後にも先にもこれだけである。故に僕自身はQUEENを聞くならまずこのアルバムからと自信をもってお薦めしたい!

このアルバムでようやく初登場5位を獲得するも、本国の評価にはまだ冷たいものが残っていた。一方、日本ではそのいかにも、といったルックスとドラマチックな曲が受け、人気大爆発。なお、このアルバム、ガンズのアクセル・ローズ氏も大プッシュの一枚。

Sheer Heart Attack

Sheer Heart Attack

前作でそこそこの成功を収め、日本で絶大な人気を得ることになったQUEENだが、前作のような方向性では更なる大きな成功を手に入れることが出来ないのは分かっていたし、また、前作のような大作路線はライブでの再現は非常に困難なものであった。ライブをきちんとこなすこともロック・アーティストの条件の一つと心得ていた彼らにとって、再び同じようなレコードを作るのは本意ではなかったし、彼らにはまだまだ放出すべきアイディアがたくさんあったのである。
そんなアイディアを見事に結晶させたのが先行シングルKILLER QUEENである。フレディによるこの作品は、前時代の貴族のようなひどく退廃的なムードに満ちており、前作の神話のような路線からは脱している。世間はこのムーディーでコンパクトな作品を大いに気に入り英2位米12位のヒットを記録することになる。
続けてリリースされたアルバムは先行シングルのイメージを崩さず、ポップでバラエティ豊かな作品となった。大作主義に過ぎた前作とは違い、当時としてかなりのボリュームである13曲を収録。一曲目はブライアンのギターソロが必聴なロックナンバー。3〜5曲目はメドレーだが、前作のような密接な繋がりは感じられず、軽いノリで聴くことが出来る。このアルバムでジョンが始めてMISFIREという曲を提供しているものの、まだまだ未熟な印象である。フレディは相変わらずといった感じで、おどろおどろしいとも言えるFLICK OF THE WRIST、IN THE LAP OF THE GODS、バラード曲であるLILY OF THE VALLEY、IN THE LAP OF THE GODS...revisited、おどけた調子のBRING BACK THAT LEROY BROWNを作ってバラエティの豊かさを一層増させている。しかし、そのバラエティの豊かさを特に一つの色にまとめようとするでもなく、惜しみなくぽんぽん出している所がQUEENらしくもあり、前作と同等の人気をファンから勝ち取ることに成功する。

アルバムもシングルと同様に英2位米12位のヒットを記録する。この頃にはAEROSMITH、KISSと合わせて日本で三大バンドと呼ばれるようになっていた。アルバム曲STONE COLD CRAZYは初のメンバー全員による共作曲で、後にメタリカにカヴァーされ脚光を浴びる。稲葉さんが21世紀に持っていきたいアルバムの一枚としても挙げていたアルバム。

オペラ座の夜

オペラ座の夜

QUEEN史上最高傑作であるBOHEMIAN RHAPSODYを含む70年代、いやロック史上に残る永遠の一枚。
前作でコンパクトな曲作りを身につけ、ヒットを飛ばすも、彼らにとってはQUEENⅡのような一見仰々し過ぎるような曲作りもまた、彼らの重要な部分だったのである。前作と前々作の方法論を共存させつつ、もう一歩前に踏み出る。そのために取った方法がオペラ仕立てである。時に仰々しく、時にユーモアたっぷりに、時にシリアスに。そんなオペラチックな雰囲気がこのアルバムには溢れている。そのアルバムの雰囲気を一曲に詰め込んだのがフレディの、そしてQUEEN孤高の最高傑作BOHEMIAN RHAPSODYである。お得意の転調部分にオペラチックなボーカルを挿入。結果として従来の大作とは良い意味で違ったものとなり、それが大ヒットに繋がった。
BOHEMIAN RHAPSODY以外にも、不吉な匂いのするロックDEATH ON TWO LEGS、コミカルで芝居がかった曲調がオペラっぽさを強調するLAZY ON A SUNDAY AFTERNOONとSEASIDE RENDEZVOUSQUEENのピアノバラードの傑作中の傑作LOVE OF MY LIFE、と名曲を立て続けに提供。ロジャーが、ロジャー流ロックの傑作I'M IN LOVE WITH MY CARを作れば、ジョンは後に花開くポップの才能がYOU'RE MY BEST FRIENDを作り上げる。一方、当時のQUEENのもう一人の大黒柱はBOHEMIAN RHAPSODYに張り合うかのような大作THE PROPHET'S SONG、フォーキーでSF志向の歌詞が新しい'39を提供するも、SWEET LADYやGOOD COMPANYといった地味目な作品もあり、余り目立つ曲作りはしなかった。というよりも、むしろ、彼にはライブで出来るナンバーということが念頭に置いて作ったように思える。最後は英国バンドらしく国歌GOD SAVE THE QUEENで締めてみたり、とこれ以上ないくらいに芝居がかってみせている。しかし、QUEEN以外にこのような真似が出来るバンドがいなかったのも事実である。
実際問題として、聞いてみればQUEENⅡやSHEER HEART ATTACKの方がQUEEN「らしさ」があるし、曲全体のレベルとしては次作A DAY AT THE RACEの方が高く思える方も多いだろう。それでも、なお、このアルバムが彼らの最高傑作として謳われるのは、前三作を纏め上げたことによってアルバム全体が発する唯一無二のQUEEN美学が、QUEENというバンドのアルバムとしてではなく、一枚のロックアルバムとして他には絶対に真似出来ない名盤たらしめたからであろう。

先行シングルであるBOHEMIAN RHAPSODYが当時の曲としては異例の長さ(HEY JUDEの次に長いのではなかろうか)にもかかわらず、英国チャートを9週連続1位という偉業を成し立て、それに続くようにアルバムも英国1位、米国でも4位と大ヒット。このアルバムでようやく、QUEENは頭のお固い評論家達からも一目置かれる存在となる。この年は三大バンドが大躍進を果たした年でもあり、AEROSMITHがTOYS IN THE ATTICで、KISSがALIVE!でそれぞれ、アメリカを代表するバンドの仲間入りを果たしている。

華麗なるレース

華麗なるレース

ジャケットやタイトルからも分かるように前作と双子ともいえる存在の一枚であるが、中身の作りはかなり異なる。あくまでトータル性を重視した前作に対し、このアルバムでは一曲一曲が独立し、それまでQUEENがみせてきたアルバム単位での作曲姿勢が崩れているのだ。
なるほど、壮大なギターオーケストラで始まり、同じメロディで最後も締めるというのはコンセプトアルバム的ではあるが、今までのアルバムのような曲間なしのメドレー形式の曲はここには一曲もない。それまでのプロデューサー、ロイ・トーマス・ベイカーから離れてセルフプロデュースに切り替えたことが大きな原因だろう。元々、QUEENというバンドは一人一人の主張が激しいバンドである。それぞれが思い思いの曲を作ったらまとまりの欠片もないアルバムに陥る恐れがあったのだが、そこを仲介して、アルバムに流れをもたせるような曲作りをさせていたのがロイだったのである。
彼が去った結果(といって別に彼と喧嘩別れとかをしたわけではない。事実、その後再びタッグを組む)、それぞれが良いと思うものをアルバム曲に提示し、その全てを重厚なQUEENサウンドで塗りたくるという荒業に出ることとなった。それまでのアルバムを聞けば分かるように、QUEENのアルバムはフォーキーなのもあれば、シンプルなロックサウンドあり、ポップありで、その中に何曲かいわゆるQUEENらしい重厚な曲を入れることでバランスを保ってきた。しかし、まとめ役が不在である以上どの曲をQUEENらしくし、どの曲をシンプルにするか判断がつかなくなり、全てをQUEENらしくするという手法に出たのだ。結果として、アルバム全体はトータルなQUEENらしさが消えたものの、曲単位ではどの曲もQUEENらしさに満ち溢れるという奇妙なアルバムになっている。
とは言え、決して駄作ではない。QUEENとしてのらしさは消えたが、流れのための小曲等が消え、各々が自信を持つ曲が投入されてる分、平均的なクオリティは上がっているのだ。ブライアンはライブに欠かせなくなる必殺のロックナンバーTIE YOUR MOTHER DOWNを筆頭に、フォーキーながらもQUEENらしい重厚さのあるLONG AWAY、社会批判がテーマというQUEENにしては珍しい歌詞のWHITE MAN、日本のファンへの感謝の気持ちが込められたバラードTEO TORRIATTE (Let Us Cling Together)をを提供。ジョンはYOU'RE MY BEST FRIEND同様ポップなメロディの光るYOU AND Iを、ロジャーはロックンロール方面から一転して味わい深いミドルテンポのDROWSEを作り上げた。フレディは相変わらずのQUEENナンバーを作っている。LOVE OF MY LIFEに並ぶバラードYOU TAKE MY BREATH AWAY、ワルツに手を出したいかにもQUEENらしい大仰さに満ちたTHE MILLIONAIRE WALTZ、同じように芝居っ気のの強いちょっと気取ったムーディーなGOOD OLD-FASHIONED LOVER BOY、アルバムの中核を担うゴスペルとポップを融合させた名曲の一つ、SOMEBODY TO LOVEと、メンバーの中でも群を抜く奇抜さと存在感を誇っている。しかし、勘のいい人は気づいているかもしれないが、ここで既にフレディのピアノ主体のおどろおどろしいとも言えるロックナンバーは消えている。このアルバムの時点で、初期のQUEEN美学からの脱却はすでに図られていたのである。

再び英国1位、米国5位と大ヒット。タイトルはオペラ座と同様マルクス兄弟の映画から拝借されたが、邦題は「競馬場の昼」では格好がつかないので「華麗なるレース」と対をなしていない。アルバムの先行シングルであるSOME BODY TO LOVEは発売当初英2位だったが、後にフレディ没後、QUEENジョージ・マイケルのタッグによって出されたものが1位を獲得する。B’zのSURVIVEで、Callingを使ってアルバムの冒頭と最後を同じように飾る案が出てたが「それじゃQUEENだ!」ということで却下されている。その際のQUEENとはこのアルバムを指している。